テニアン島に原爆を運んだ軍艦を潜水艦が撃沈!艦長が軍法会議にー前編

話は太平洋戦争末期、あるアメリカの軍艦がフィリピン海で日本軍の潜水艦に撃沈されるという出来事がありました。

しかし戦争中のことですから当然こんなことは頻繁に起きていたことですが、この出来事が問題となったのは、この軍艦が積んでいた積み荷と撃沈時の犠牲者の数にありました。

軍艦が撃沈された時にはもうその積み荷は既に降ろした後で空でしたが、その積み荷とは広島・長崎に投下された原子爆弾だったのです。

もしこの出来事が5~6日前であったなら、広島・長崎への原爆投下はうんと遅れ、次の原爆が供給される頃にはもう終戦になっていたかもしれません。

そしてもう一つは撃沈時の犠牲者数で、軍艦の全搭乗員1,200名の内900名が死亡するというアメリカ海戦史上最も悲惨な結果になったことでした。

なぜこれほどの被害が出たのか、ここではその理由や背景について2回に分けて迫っていきたいと思います。

インディアナポリス号の悲劇

日本人はこの悲劇を知っている人は殆どいないと思いますが、アメリカではタイタニック号に次ぐくらいの惨劇「インディアナポリス号の悲劇」として語り告げれてきました。

「インディアナポリス号」とはその軍艦の艦名で、アメリカ海軍の1万トンクラスの重巡洋艦です。

この事件を題材として「パシフィックウォー」のタイトルで映画化もされ、ニコラス・ケイジが撃沈された軍艦の艦長役で主演を務めていました。

もちろん私もこの映画は観ました。

しかしこれだけの惨劇なのに、映画化されるまでなぜ日本人の殆どが知らなかったのか。

私の推測ではおそらくアメリカ側が故意に隠していたのではないかと思っています。

このインディアナポリス号が積んでいた原爆により、広島と長崎を合せて一瞬で50万人という日本人が犠牲になったのですから、アメリカ側としても言いたくないし、言えなかったのではないでしょうか。

もっともその少し前に九州沖で沈められた戦艦大和の場合は搭乗員3,300名の内、助かったのが僅か300名足らずと実に90%以上が犠牲になったことと比較すれば、インディアナポリス号の75%はまだ少ないとも言えますが、片や戦勝国一歩手前の船、片や虫の息でもとより生還など期していない海上特攻船ですから、そのシチュエーションがまるで違います。

それではこのインディアナポリス号の悲劇がどのようにして起きたのか、なぜこのような悲劇が起きたのか、そしてその後どのようなことが起きたのかを順に追っていきたいと思います。

インディアナポリス号撃沈

インディアナポリス号は、原爆とそのパーツを北マリアナ諸島にあるテニアン島に届けるために単艦でサンフランシスコからハワイを経由して1945年7月26日に無事テニアン島に着きました。

テニアン島に原爆を降ろしたインディアナポリス号は、その後フィリピンのレイテに向けて出航したのですが、7月30日の深夜に日本の潜水艦「伊58」が3本ずつ2回に分けて放った魚雷6本の内の3本が命中し、魚雷命中後わずか12分後にインディアナポリス号は沈没に至りました。

1万トン級の軍艦がこれほど早々と沈没したのは、1回目の魚雷が空けた破孔に2回目の魚雷が飛び込み、2回目のその魚雷が艦内深くに潜り込んで爆発し、その爆発で艦の主砲弾に誘爆を引き起こさせたことが致命傷になったからでした。

なぜ単艦での航行であったのか?!

この潜水艦の雷撃により一瞬で艦搭乗員300名が戦死したわけですが、終戦間際とはいえ戦争のさなかにあった出来事であり、これ自体少しもおかしなことではありません。

それよりも、いかに大戦末期で太平洋の制海権がアメリカの手中にあったとはいえ、広大な海の、しかも見えない海中の潜水艦までアメリカの覇権は及ばなかったはずで、なぜインディアナポリス号は潜水艦の襲撃が懸念される海を単艦で行動したのか?

もし1艦でも駆逐艦が随伴していればこの悲劇は起きなかったかもしれません。

その理由としては原爆運搬という極秘任務であったため、目立たないようにとの意図があったようですが、レイテへの回航時はもうその任務は終了していたわけですから、それは理由にはなりません。

よほど日本軍をなめ切っていたか、軍部の怠慢か、そのどちらかであることは確かでしょう。

潜水艦の雷撃を受けたインディアナポリス号は、雷撃から12分後に水没するわけですが、その雷撃によりインディアナポリス号全搭乗員1,200名の内、300名が犠牲になり、残り900名が漆黒の海原に放り出されました。

この時、映画では艦からの救難信号は発しなかったことになっていますが、実際には救難信号は送信されていたのです。

ところが1日経っても2日経っても救助はやってこず、3日後にやっと哨戒機が発見して残った搭乗員が全員救助されたのは5日後でした。

その5日間に遭難した900名の内600名が犠牲になったのでした。

映画ではその大半がサメの餌食になったように描かれていますが、確かに最初の頃サメは海底に沈んだ死体を襲って食いつくし、次に単独で浮遊物に掴まっている人間を襲い、次第に群れている人間にまで矛先を向けるという動きをとっていました。

しかし映画にあるように600名全ての人間がサメの餌食になったわけではありません。

もちろんサメの襲撃もありますが、救助の遅れにより水・食料の欠乏と体温の低下、幻覚症状、気力・体力の消耗などのサメも含めた諸要因で600名の命が奪われたのです。

なぜ救難信号を発したのに救助されなかったのか?

これもアメリカ海軍の大きなミスが重なった結果であると思われます。

アメリカ海軍の弁明としては、救難信号は受けたがそれは日本軍の欺瞞によるものと判断して無視したとのことですが、仮にそのように判断したとしても予定時間になってもインディアナポリス号がレイテに到着しなかったわけですから、それを確認する義務があったはずです。

沈没した海域からレイテまではあと1.5日で到着するはずですから、その確認さえしていたならすぐに異変を察知できていたはずが、2日経っても3日経っても誰もインディアナポリス号の未到着に気付かなかった、確認しなかったということに首を傾げるばかりです。

何があったのかは分かりませんが、いずれにしても海軍の大失態であったことは間違いありません。

そしてこれが後に大きな波紋となって全米中に広がっていくのでした。

テニアン島に原爆を運んだ軍艦を潜水艦が撃沈!艦長が軍法会議にー後編に続きます。

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